マララ命をかけて勉強するパキスタンの少女(ノーベル平和賞受賞)

マララちゃんという最年少でノーベル平和賞を受賞した少女がいます。

彼女は、タリバンが女は学校に行くな、という警告をしたのに、学校に行ったことで、銃で頭を撃たれました。弾丸は頭に当たったのですが、奇跡的に頭から頭蓋骨を滑って首に方に抜け、肩甲骨のあたりで止まったそうで、一命をとりとめました。

もっとも、その間、4つもの病院を移送され、最期はイギリスのバーミンガムの病院で治療を受け、助かったそうです。現地にスワートやパキスタンの病院では助からなかった可能性もあります。

日本では、勉強が嫌、という学生が多いのに、なぜパキスタンの少女達は命をかけてまで勉強するのでしょう?

日本の子供なら、学校が休みだと嬉しいし、学校が無くなったら天国、と考えている学生も多いのではないでしょうか?

学校が楽しみでしようがない、という生徒もいるにはいるでしょうが、その理由は必ずしも勉強ができるから、ではなく、部活が楽しいから、友達と遊べるから、という理由の人もいるはずです。

パキスタンで学ぶ内容と、日本で学ぶ内容は歴史や国語を除けば基本的には同じはずです。

それなのに、なぜ、パキスタンでは子供が命をかけてまで勉強したがり、日本では逆に勉強したくない生徒が多いのでしょうか?

それは、一つには、マララちゃん達は、勉強することで、仕事にもつけるし、他人を助けられる、と考えています。

しかし、日本の学校では、勉強すれば人助けができる、というようなことはあまり強調されていない気がします。大体、いい中学、いい高校、いい大学、いい企業に入っていい人生を送るため、と自分がいい生活をするために勉強しなさい、勉強しないと将来苦労するから、ということを教える親や教師が多いと思います。

パキスタンの少女は、他人を助けられる、この世界をもっといいものにできるから、女も学校に行って勉強するべき。タリバンが襲ってきても勉強する、という強い気持ちで勉強に取り組んでいます。

日本から見れば、パキスタンの教育環境は悪く、むしろ、日本人が彼女らを助けるべき状態です。それなのに、パキスタンのまずしい少女がタリバンの脅迫にも屈せず、命をかけて学校に行き、タリバンから撃たれた、というのはすごいことだと思います。

しかも、奇跡的に生き延びて、その後、国連でスピーチをして、ノーベル平和賞まで受賞するとは。

日本は、平和と水は空気のごとし、というように、日本では、平和で、きれいでおいしい水がいくらでも飲めるのが当たり前になっています。

しかし、世界には、濁った泥水しか飲めず、赤ん坊や幼児が命を落としている国がたくさんあります。また、平和な日本では考えられないですが、アフリカでは、子供が銃で親を撃ち殺すように仕向ける集団があります。

そういう国から見れば、日本は非常に恵まれています。恵まれているからこそ、そうした戦争状態にある国や、水道や井戸の無い国の人達を救うべきではないでしょうか?

勉強する目的を、他人を救うため、この世界をよりよいものにするため、にすれば、より、頑張って勉強できると思います。

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