名門大学に入る意味
- 2013年04月01日
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東大や京大、ハーバード大学やスタンフォード大学等一流大学に入る意味はどこにあるのだろう?人それぞれにそこに入る目的があるので、自分なりの意味が見いだせれば何でもよいとも言える。現役で入る人もいれば、30代、40代、あるいは50歳を過ぎてから入る人もいるだろう。
学歴社会で成功したいのであれば、学閥であまり能力が無くても順次出世できる会社を選べばよい(そんな会社は少なくなってきているが)。また、官僚になれば東大卒の方が人数も多いし、先輩、後輩も多いので、助け合うこともできる。
また、一流大学の優秀な教授陣から学ぶこともできるし、設備や附属機関も充実している。研究費も多い。海外からも優秀な留学生が多く来ている。
そういう意味から言えば一流大学に入る意味はいくらでも出てきそうではある。
しかし、私が会社に入って感じるのは、今は必ずしも学歴社会ではない。学歴社会が通用したのは、高度成長時代であって、決まったことをきちんとこなしていれば業績が伸びていた時代だ。
今は何もしなくても物が売れる時代ではなく、ヒット商品を出す必要がある。
ヒット商品の出し方は一流大学では教えない。マーケティングや新製品のコンセプトの出し方を教える帝国大学は無いと思う。最近では東大も少しMBAみたいなコースも作っているようだが、昔は東大は官僚養成校なので、商売を教えるMBAのような学問は不要、という発想だったらしい。
そういう意味で、東大を出たからと言って、ビジネスの世界で成功できるとは限らない。
むしろ、慶応大学や日大の方が社長になる確率は高いかも知れない。
とすれば、東大よりも慶応や早稲田、日大に行く方がいいかと言えばそうとも言えない。
東大卒の場合は同級生が会社や大学のトップになることが多いので、そういう意味で人脈ができる。その人脈を使うことで比較的容易に様々なことが可能になる。
反面、官僚との人脈で研究費を取れるので、実力で研究費を獲得する必要がない。そういう意味で独創的で画期的な研究をしなくてもやっていける。関西等の大学では本当の実力がなければ研究費が取れないので必死で頑張る面がある。
そういう意味から言うと、研究費の獲得が有利な分、逆に必死でやる必要がないとも言える。関西の方がいい研究成果が出るとしたらそういう構造に起因している可能性もある。
なので、研究費の面で恵まれていることが必ずしも優れた研究成果を出すことにつながるとは限らない。
どうもまとまりに欠けるが、一流大学に入ればそれなりにメリットは大きい。しかし、それに甘えてしまっては進歩が遅くなる。研究費が多い等のメリットをうまく使ってさらに優れた研究成果を出したり、日本や世界をリードする優れたリーダーになれるよう不断の努力をすべきではないかと思う。