東京大学が京都大学に比べて科学のノーベル賞が少ない理由

東大は京大に比べノーベル賞受賞者が少ない、と言われています。実際、東大卒業生でノーベル賞を受賞したのは、江崎玲於奈先生、小柴昌俊先生、根岸英一先生の3人です。根岸先生はアメリカで研究されていますし、江崎先生もソニーから海外に出て研究してノーベル賞につながったと記憶していますから、純粋に日本で研究してノーベル賞を取ったのは小柴昌俊教授だけ、と言えるかも知れません。

これに対し、京大関係では、湯川秀樹、朝永振一郎、赤崎勇、福井謙一、野依良治、利根川進の諸先生方の6人、また、山中伸弥教授は神戸大学卒ですが、今は京大教授です。東大の約倍ですね。

偏差値的には東京大学の方が上のはずなのに、なぜ、京都大学の方が東京大学よりもノーベル賞受賞者が多いのでしょうか?

元々ノーベル賞受賞者数が少ないので、議論する意味が少ないかも知れませんが、一定の傾向はあるように思います。

日本で一番頭がいいはずの東大医学部や京大医学部からもノーベル賞は出ていません。ただ、京大医学部からはラスカー賞がかなり多く出ています。5人位でしょうか?それに対して東大医学部に限らず、東大全体からもラスカー賞は出ていません。ラスカー賞受賞者は以下で、京大、阪大、神戸大あたりです。

1982年 花房秀三郎(基礎医学研究賞)
1987年 利根川進(基礎医学研究賞)
1989年 西塚泰美(基礎医学研究賞)
1998年 増井禎夫(基礎医学研究賞)
2008年 遠藤章(臨床医学研究賞)
2009年 山中伸弥(基礎医学研究賞)
2014年 森和俊(基礎医学研究賞)

なぜ関西の方がラスカー賞やノーベル賞のような画期的な発見をするのでしょう?それにはいくつかの理由があります。

1つは東大生が頭が良すぎて、論文を読み過ぎ、権威に従い過ぎる、ということではないでしょうか?つまり、論文の内容をうのみにする学生や先生が多いのではないでしょうか?

以前聞いた話ですが、教授が4年生の女子学生に、論文の追試をやらせました。その論文の方法を研究室に取り入れるためでした。でも何度やってもうまく行きません。それを教授に報告するたびに、そんなはずはない、お前の実験が下手なんだ、やりなおせ、と言われ続けたそうです。

そしてその学生は卒業まで教授からボロカスに言われ続け、研究者の道を諦めて企業に就職したそうです。

ところが、後日、その論文が間違いだったことがわかり、その教授は女子学生に謝ったそうです。

教授でさえ、有名な研究者の論文は正しい、と信じてしまうのです。

逆に関西の教授の中には論文を読まない、というポリシーでうまく行っている先生もいたりします。これは極端ですが、自分が世界一であれば、論文を読む必要もないのかも知れません。

次に東大では、画期的な研究テーマを選びにくいのではないかと思います。そうしたテーマは論文が出ないおそれがあり、修士の2年間や博士課程の3年間ではまとまったデータが出ず、大学院を修了できないおそれがあります。ですから、少し計算のできる学生や院生であれば、論文が確実に量産できるテーマを選ぶ傾向があると思います。

そういう意味で、東大からはノーベル賞が出にくいのかも知れません。もちろんこれには議論もいろいろあると思います。反論やコメントなどあればコメントいただければ幸いです。

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